オタクじゃないほうのブログ

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本屋で本を買った

品ぞろえが良い本屋は好きだが人が多い本屋は好きではない。詩歌のコーナーを見たあとは人が少ない哲学書や自然科学、語学書のコーナーに逃げ込む。最近はめっきり新しい(読んだことのない作家の)小説を買わなくなってしまった。

今は小野不由美十二国記をもっぱら読んでいるがとても面白い。いいかげん三体も読みたい。


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買った。春日井健のはISBNがついてないやつだった。昔の本のようにパラフィン紙がカバーになってる。なんかレアリティあんじゃん♪もしかして掘り出し物か?と思ったけど普通に平成26年に第4刷発行だった。

 

詩集とか歌集って頭の方に良作が集まってるのが多いと感じるんだけど、それは実際にいい作品を頭の方に集めてるのか、読み始めだから印象に残るのか。まあ前者なんだろうけど私の場合は多分後者もある。

 

 

学友のかたれる恋はみな淡し遠く春雷の鳴る空のした

啞蝉が砂にしびれて死ぬ夕べ告げ得ぬ愛にくちびる渇く

若き手を大地につきて喘ぐとき弑逆の暗き眼は育ちたり

すべて春日井健「未青年」より。

 

私「春雷」の概念好きなんですよね。俳句にも春雷を詠んだ有名な句ありましたよね。

実際春雷ってあんまり出会った記憶ないんだけど、春雷のイメージ、暗い曇天と生ぬるい風!薄暗い日に浮かび上がる学友の顔、逆光、雨が降りそうな湿った空気を私はこの歌から感じた。光景だけじゃなくて音と匂いと温度と湿度も感じられる作品ってサイコーです。

 

あと「砂にしびれて死ぬ」←天才。晩夏、寿命が来て砂利の上にひっくり返って死を迎えようとしてる蝉の足が細かく痙攣してるところでしょうね。それを「啞蝉が砂にしびれて死ぬ夕べ」て………これが「歌人」の眼と表現。

 

若き手を〜の歌はなんか、父殺しかな。父殺しの概念好きなんです。どこか神話的な印象も受けた。オイディプス王

春日井健の歌ってそこまで読んだことあるわけじゃない(この歌集もまだごく最初のほうしか読んでない)けど、ギリシャ神話的イメージを抱いている。神自体というか、その神の彫刻、トルソー。でもデッサン用のやつみたいにつるんとしてるわけじゃなくて妙な生々しさもある。汗臭さとまではいかないけど。あんまり女性的、男性的という表現は使うべきでないんだろうけど、とても男性的な作風だなと思う。男性的、女性的に代わる表現を早く見つけたい。

そういう点で三島由紀夫っぽいな〜と初めて読んだときは思ったんだけど実際三島由紀夫も春日井健の歌好きらしい。

 

 

 

 唇は濡れた やがて僕の手は乾いた さよなら 女は僕とすれちがって出ていった ドアの外へ ひとりの背の高い男が雨に濡れながら僕を待っている 生きるためにか死ぬためにか ドアを隔てて僕らは弾丸を装塡する

田村隆一「秋」)

 

 息を殺せ 無声音を用いて語れ……愛は性器と死者との不協和音による黄昏のごとき表象なのだ 雨の日の彼女は美しい

田村隆一「声」)

 

ともに『四千の日と夜』より。田村隆一って私が好きと言える数少ない詩人の一人なんですが、言ってることはほとんど理解できないけどその言葉の奥の方にある感情、感覚、そういうものをかろうじて拾い上げられて、好き。そういう言葉の奥にあるものの伝達を可能にするのも言葉のみで、その言葉の羅列がね…美しい…のかはわからないけど私は好きです。私の頭の中のどっかと波長が合います。詩って小説に比べて非常に感覚的で抽象的なので「わからん」と言われがちなのはまあ当然のことだと思う(私も実際ぜんぜんわからん詩人がほとんど)けど、その分自分に合った詩や詩人を見つけられたときは嬉しいね。